2008年07月26日

フラットな世界

ポストモダンと美術といえば、気になるもう一つの言葉。
スーパーフラット。

2000年ごろから村上隆が始動したプロジェクト。たぶん、今も継続中、というか、
その流れの中にいるような気がします。

スパーフラットとは、日本の伝統美術から現代のアニメ文化までに通低する
平面性の特徴を説明した概念で、アーティスト村上隆が提唱して話題になった言葉。

平板で、奥行きがなく、遠近法的な知覚を拒むなど
2次元的な造形のことを指しているばかりでなく、
ヒエラルキーが解体された社会的・文化的構造まで説明できるということで、
現代思想の分野でも取り上げられたりしています。

自分も漫画やアニメで育った世代なので、身体感覚としてよく分かります。

ところで漫画を真似して描いていた中学や高校の時、
人物のクロッキーをどうやってデフォルメすると、こんなにアニメチックになるんだろう、
と不思議に思ったことがあります。
結局、漫画のキャラクターや動きなどは、クロッキーからは遠くかけ離れてしまった図柄を
アイコン(記号)として、読み取っているに過ぎないんだと思います。
効果線、吹き出し、擬音など、漫画には記号が溢れ返っています。

そして白黒の線画というのは、日本の伝統美術の流れを辿っても、
おそらく得意分野なのだろう、と思います。
それは西洋美術の光と影をとらえた造形美とは違う種類の美なのかもしれません。

気候や風土、身体の違いが美術に影響を与えているんだと思いますが…。
(特に、顔や身体の違い!。彫りの深い顔を表現するには、光と影しかない!?)

ちなみに、「フラット化する世界」という本があって
(まだ読んでいませんが)
それは、個々人がネットで繋がっている現代社会の状況を説明し、どうしたらいいか、ということが書かれているようです。

一読あれ!
そして内容を教えてください^^




posted by moritayasuhero at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

ポストモダンについて

椹木野衣の本を読んでいたら、ポストモダンという言葉が頻繁に出てきたので、
気になって調べてみた。

ちなみに、
ポストモダンとは、60年代から70年代にかけての社会の変化のことであり、
ポストモダニズムとは、その特定の時代精神のことらしい。(東浩紀による)


そしてリオタールという人によると、ポストモダンとは「大きな物語の終焉」なのだそうだ。

たとえばマルクス主義などのイデオロギーなどは、大きな物語の一つ。
社会のあるべき姿が追求されたり、世界はどういうものかという問いかけに一つの答えが求められたりした。

そもそも「ポスト」とは、何かの後に来るとか続くとかいう意味がある。
だからポストモダンとは、「近代(モダン)」という時代の後にくる新たな文化的な時代のこととも言える。

大きな物語を追い求めた近代という時代は、20世紀に半ばになると終わりを迎え、
高度情報化や消費社会化、マイノリティ、グローバリズム、サブカルチャー、ネットワークシステム、エコ、ジェンダーなどなど、
様々な特徴をもった複合的な社会状況に変化していった。

どうも、こういう状況をポストモダンというらしい。
すなわち、大きな物語が崩れていってる社会の状態をポストモダンといっているのだろう。

ということで、今現在は、ポストモダンまっしぐらの状態なのだろうか。おそらく。

ちなみに、ポストモダニズム、という時代精神とは、
主に60年代から70年代でフランスを中心とした現代思想であったり、80年代に日本で流行した思想であったりするそうだが、
ソーカルらの「知の欺瞞」に象徴されるように、
その時代精神はすでに終っているかのようだ。

ポストモダニズムは既に”古い”ということらしい。
posted by moritayasuhero at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月20日

デカルトのコギト

中世の世界観は神学と深く結びついていました。
近代に入ると、ガリレイやニュートンに代表されるように、
合理的な考え方ができるようになります。
哲学の世界では、デカルトがその役割を果たしました。

正統の学問に対して疑わしいと主張する「懐疑論」が流行った当時、
では本当に全て疑わしいのか、
と、考え詰めたのがデカルトでした。

自分が見るもの、感じること、これは現実か。
夢ではないのか。
あるいは隣の人と本当に同じものを見ているのか・・・。
すべて疑わしい。

こうして徹底的に疑う「方法的懐疑」を進めた結果、
一つだけ疑えないものが残りました。

それは、考えている自分、という存在です。
様々なものを疑っても、ただ一つ疑えない確実なものは
私は考えている、ということ。

これがデカルトの「我考えるゆえに我有り」という考えです。
posted by moritayasuhero at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月03日

世界を秩序付けるもの

哲学とは、世界の原理が何かを説明する作業です。

最初の哲学者と言われるタレスは、世界は水からできている、と言いました。
ギリシア哲学では、世界の原理は水とか火とか数とか、様々に想定されました。

しかし、世界を秩序付けているのは、むしろ人間の心だと考えられるようになります。
たとえば猫には猫の、蜂には蜂の世界があって、見えるものも感じるものも人間の世界とは異なっているはずです。
世界それ自体が秩序をもっているのではなく、我々人間が世界の秩序を作っている。
これがソクラテス哲学の特徴の一つです。

自然の秩序とその原理は自然そのものの中にあるのではなく、人間の「精神」が秩序付けている。そうならば、「精神」を秩序付けているものは何か、ということが問題になります。ソクラテスによれば、それは「真・善・美」の問題であり、ここに哲学の探求すべき問題があるということです。

ギリシア哲学の流れにあって、ソクラテスの考え方は画期的な事件ともいえるものでした。
posted by moritayasuhero at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月26日

哲学とは何??

哲学とは、要するに、自分で自分を深く知るためのひとつの技術(アート)である。あるいは、自分と世界(他人や社会を含む)との"関係"を深く知るための技術である、・・・
「自分を知るための哲学入門」竹田青嗣
posted by moritayasuhero at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学・思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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