2008年08月02日

剽窃の論理

絵を描き始めて、色んな人に見てもらったり、賞をもらったり、
ささやかながら活動をしていて、剽窃という言葉に突き当たった。

簡単な言葉でいうと「真似」である。
日本でいえば「本歌取り」の文化がある。西洋でもティツィアーノの裸婦に
原型があったり、その後も繰り返し用いられたり、真似は特別なことではない。
そもそも、美術なんて真似から入ることが多い。絵を描くこと自体、
対象の模倣といえば、それまでだし。

要するに、自分の手法とかアイデアが真似されている、と思う時が時々あったわけです。
恐らく、双方に言い分もあるし、公平なジャッジなんかできないし、
本当に真似ではなかったかもしれない。ただ、当事者にしか分からないこともある。
それとも「真似」ではなくて「影響」なのかもしれない。
もちろん、自分だって影響を受ける人がいるし、真似をしていることもある。

よくわからなくなって、高階秀爾の「ピカソ剽窃の論理」を読んだ。
感想は、ピカソは真似をした作品を作ろうとしていたわけではないということ。
美術の平面表現の新しいスタイルを模索していたと同時に、オリジナルな手法によって、美術全体を俯瞰しようとしていたんではないか、と思った。あるいは、作者の意図をさぐると同時に、その構造を見せてくれている、という感じか。

そういえば、森村泰昌も模倣している。というか、成りきっている。
フリーダカーロに扮したり、最近では三島由紀夫に成りきったりしているけど、ゴヤの「わが子を食らうサトゥルヌス」に扮している作品は、たまげた。っていうか、たまげるので、是非見て欲しい。

いずれにしても、ねらいはピカソと似ているような気もする。森村泰昌の方が、コンセプト的な点で、やっぱり現代美術といえるのかもしれない。

ところで、たまたま絵の描き方を知りたくて佐々木豊の「泥棒美術学校」という本を読んでいたら、「イメージの盗み方」と題して、堂々と模倣(まね)のプロセスを公開している文章があった。そして模倣を真っ向から肯定していた。
こうなると全く何もいえなくて、なるほど、と思う。納得する。

そういえば、前に作品を見てもらった人に、「一度うまく行くと真似されるからね」とも言われたことがある。

最近ではアルベルトスギ氏と和田義彦氏の話題が記憶に新しい。

結局…真似をした時は堂々と告白するべきで、告白できないような真似はするべきではないと思った。
ただ過去の大家や歴史の偉人が残した優れたものを模倣することはOKだけど、
隣で描いている人の作品を横目で拝借することは、どうなんだろう、とも思う。

答えはまだ出ていない。
posted by moritayasuhero at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/104022775

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。